人間って不思議なもので、不満のない生活はそれ自体が不満へと変わってしまうみたいだ。
  
  彼はとても優れた人で、絵の才能もあった。 
  初めて彼のおうちへお邪魔した日、彼の部屋にはクリムトの『接吻』の絵を模写している途中のキャンバスがあった。 
  美術部でもない彼が使うには大きすぎるのでは、と思うほどの大きさのキャンバスに彼のおうちが裕福であるのを現しているようにも感じられた。 
  そういえば、普通の学生にしては、ランチにしても、身に着けているものにしても、少し贅沢なような気もする。 
  家庭教師のバイトをしているから、普通よりバイト料が良いのかと単純に考えていたけれど・・・
  
  
  ある日の夜の電話で、彼に言われた。 
  「明日はちょっとおしゃれな服で来て。」 
  前のことがあるから、もしかして?と、緊張が走る。 
  やはり、学生のうちは結婚なんて現実的には考えられない。 
  彼もまだ学生なんだし・・・ 
  結局その日はプロポーズではなく、ホテルのランチだったのだけれど、何となく結婚相手として彼を意識し始めてしまったわたし。 
  そのランチがデザートに差し掛かったとき、彼が突然テーブルにあったペーパーに、わたしの絵を描き始めた。
  
  
  彼ほど、堂々とした態度をとれないわたしは、モデルさんのようにポーズをとることも、自然な態度でいることも出来ず、ウェイトレスさんがコーヒーのおかわりを持ってきてくれたとき、恥ずかしくてしょうがなかった。 
  次のデートでは、彼からのリクエストで白いワンピースを着て行ったわたし。 
  彼は、サンダルのときと同じように、店先に飾ってあったスカーフをわたしの首に巻いた。 
  でも、サンダルのときとは違い、わたしにはしっくりこなかった。
  
  
  テレビで見る女優さんや、雑誌のモデルさんなら似合いそうなおしゃれな巻き方にも抵抗を感じた。 
  スカーフがわたしに似合わないのとおんなじで、わたしも彼に似合わない? 
  そんな不安がわたしの心によぎってしまった。 
  結婚するには、彼のような人が良いには違いないが、自分と不釣合いだと感じると、とたん結婚が怖いもののように感じてしまう。  |